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ノベツマクナシ

低所得者層にいます

日記102 物語と主人公 スプートニクの恋人/ノボルの場合

日記

村上春樹による「スプートニクの恋人」は読んでいて意味がわからないけど何度も読んでしまう本のひとつです。

意味がわからないと形容してはいるけど、けしてつまらない本ではない。
これはただ単に村上春樹の小説は物語としてのテイがなってないだけであって、日常が全て何かしらのショートストーリーの連続、もしくは積み重ねなのだということを私に気づかせてくれるのです。それはきっと起承転結がはっきりしている物語には出来ない領域で、私はそこが好きなんだと思う。

物語の核となる登場人物・すみれはレズビアンで、小説家になるべく日がな一日文章を書き、夜中寝ている主人公ノボルを電話で叩き起こし「記号と象徴の違い」について問を投げかけるような、端的にいうと傍迷惑な人です。その代わりオンナであることを追求するよりも好きなものに没頭し、無邪気に夢を追うような、男が喉から手が出るほど欲しい女友達の象徴でもあります。私の中の感覚でいうとジェンダーの違いを理解していながらも一緒に鬼ごっこに明け暮れたような時期に居た友達に近い。

そして彼女は自信の初恋の相手が同姓であることに驚きつつも、想い人に近づく為には手を抜かない一本気な”わかりやすい主人公っぷり”を読者に見せてきます。言うならば彼女は語り手である主人公・ノボルよりも熱っぽく行動的で意欲に満ちているのです。しかしすみれは主人公ではない。

ここで、何が主人公足りえるのかを考えることになる。

主人公は物語を進めるため、みずから行動しなければならないのです。そこには欲求があり、具体的なゴールや目標や理由が見えていないと文字通り話にならない。その役目を影で負ったのはすみれであり、ミュウでもあります。つまり彼は語り手である一方、物語の上ではほとんど動いていないのです。
すみれが自身を宇宙に漂う人工衛星スプートニクと例えたように、ノボルは様々な衛星を抱えながらも静かに佇む地球のように彼はそれらを眺めているのです。

それならば彼を動かしたのは一体何だったのか。
本作の主人公ノボルは徹底して受動的です。自ら選んだものは社会にとって無害であること・自分のみが知る自分を分かり合えない世界から守ることのみ。家族への描写の少なさや無理解から、強い孤独癖が彼の土台となっていることが読み取れます。一方で小学校教師というある意味で圧倒的な存在となり、他者へ影響を与える側の職業を選んでいるのも面白い。

作者の村上春樹も、ニンジンのエピソードが浮かんだ時に、物語が上手く機能しだしたといったことを発言したように、主人公であるノボルに訪れる分かれ目はたった一度。それも”ギリシャで失踪したすみれ”という派手さに添え物のように置かれる”万引きをした教え子・ニンジンとの対話”というサッパリとした出来事の中で帰結するのです。

ノボルが施した自分と世界への赦し
教え子・ニンジンからかつての自分に似た性質を見出したノボルは、その不器用に自身をむき出しにする姿に対し、子供であるという肩書や性格上分類されるキャラクターといったフィルターを通すこと無く、距離を保ち続け、尊重するという、かつての自分が常に求めていた行為を自身に似たニンジンへ指し示すことで自分が間違っていなかったという許しをニンジンとノボル自身に与えたのです。

血縁関係者や恋人でもない赤の他人に対し動くことで相互に作用する巡り合わせ。さりげなく挟み込まれていますが、とても美しい。このエピソード以降のノボルはなんだか軽やかな雰囲気をまとっていて、結末への流れに身を任せたくなるほど心地の良さをたたえています。これもまた美しい。

まとめ

今度はミュウが気になってきたので次に読み返すときは彼女に注目します。