ノベツマクナシ

低所得者層にいます

日記92 部屋着と反語的思考

温かい格好がしたくてマフラーを買った。生まれ育った町はとにかく底冷えするのだ。今持っているコートだってクビをしっかりと覆わないし、すぐに風が染みこんでくる。この街ではマフラーというものは買わないといけないものなのだ。

店員に閉店するんですと言われ同情心を言い訳にサイフのヒモを緩めた結果、やたらモコモコした起毛のパーカーを追加した。私の中の勝手なイメージの中では起毛のモコモコした服はヤンキーのモノだった為、家に帰り実際に着た自分を鏡で見た時「なんだ普通じゃん」と腑に落ちてしまった。

家の中に居る時の格好に気を配り始めたのはいつ頃だろうか、ネットで火事になった時すぐに外に出られる程度の格好をしないとダメだ、みたいな文章を見てからだと思う。判断基準というか、生活ひいてはその人の生き方の水準として部屋着こそちゃんとするというものがある。とは言えチノパンやスラックスを履くでもなく、襟付きシャツをラフに着こなすわけでもない。ユニクロの綿のパジャマズボンにオーバーサイズ(デカいサイズしか残っていなかった時の言い訳)のスウェット、そしてこの起毛のパーカーである。自分で言うのもなんだが女子力感が妙にある。良いだろう。

なんでだろうか、この部屋着を買っただけでかなりわくわくしている自分がいる。常に目に入るモノだからこそなんだろうけど、所有欲ってのは底知れない。

ところで私の名前は結構立派だ。というよりイイ漢字が使われていて気後れするのだ。人に説明するとき、同時に頭のなかでブー!と音がなる。フォローするかのように「そういう人生を歩むよう願ってつけられたのです」と付け加える。名前はそういう意味で私にとって難易度の高い壁であり同時にそうではない現状を浮き彫りにする光でもある。いつか名前と肩を並べられるくらいのヒトになれるだろうか。

そんな中、私が自分につけた名前を褒められた。アカウント名といえどやはり嬉しい。本名以外はすべて自分でつけられる、戒名さえも自分で用意できる時代だ。だから私はアカウント名をつける必要がある時は必ずどこかで戒名のことを考える。

難易度の高い名前と、自分自身が付けた名前。この2つを持ってして私の中に「何かを発信するというのは、同時に現状がそうではないという肯定をすることだ」という真理が見えてくる。なんてネガティブなモノの見方だろうか。

だから私は何かを見てもすぐに語尾に(とは思わない。)だとか(現実は違う。)を加えてしまう。歌を聴いても歌詞を脳内で否定形に補い、時にはすべての言葉を入れ替えてしまう。オートコンプリート機能に反語がついてくる。

私はネガティブな人間だったのか!なるほど。