ノベツマクナシ

低所得者層にいます

日記80 エルサに必要だったのは/アーネストが叫んだ「友達なんだ」

こう一日ずっと雨が降っていて、外に行くわけでもなくただ本を読んだり道重さゆみの卒業にショックを受けたりと時間を持て余していたわけなんですが、ふと「あ、日記書こう」と思える環境&自分でいられるってのはなかなか良いもんだと思う。

アーネストとセレスティンという映画を見た。ネタバレあり

世界はクマたちが生きる地上の国とネズミたちが生きる地下の国で分かれていて、お互い理解できない者同士恐れ忌み嫌いあっている。そしてそれぞれの世界のはみ出し者が出会い友情を深めていく話だ。劇中双方の国で囚われとなったアーネストとセレスティンはお互いを「だって彼は(彼女は)友達なんだ」と叫び求め合う、そのシーンの素晴らしいこと素晴らしいこと。異型種族間の愛情は友情という形で表現するのが一番綺麗に見えるんだなぁと感じる。それがクマとネズミでも。社会的異分子がその存在を受入てもらうためには、異質であることを押し付けるのではなく、いかに同じ生き物であるかを解らせるほうがよほどスマートでダイレクトに伝わるんだなぁと感心。

 

アナと雪の女王を見た。ネタバレあり

私が一番心を痛めたのは子供時代の事故におけるエルサの両親の対応の仕方だった。そりゃそうなっちゃうよな、と思うくらいあの両親はまずった。エルサの凍らせてしまう能力の暴走を恐れ、また娘双方を守るためにも部屋を分け、エルサに手袋をさせた。それ以外の描写が無い。今までのディズニー映画に出てくるプリンセスは必ずと言っていいほど親や世話役がプリンセスを一人のレディとして導いていくのに、今作では両親ともに海難事故で途中退場してしまうのだ。後の雪の女王となるエルサは戴冠式での事件まで支えがない状態で一人生きている。それじゃあまりにも厳しすぎやしないか。完全に私的な事情も相まって、他人に言えず、仲間もなく、誰かを傷つけてしまうかもしれないという秘密を抱えたエルサと、娘を傷つけまいとそっとしておく親も分かるのだ。

自分は普通ではないという思いほど厄介なものはない。いくら妹が呼びかけても、妹はエルサの持つ特殊能力の持ち主ではないのだから、余計辛くなってもおかしくはない。子供時代のエルサに必要だったのは同じ能力の持ち主、同じような環境で苦しむ他の人だったんじゃないかと思う。

途中に出てきた妻の存在しない家族が住む小道具屋(ディズニーアニメ史上初のゲイカップルか?などと話題になってますね)といい、新しい家族の形をメインストリームの場で表現しようとする気概は感じました。もしかしたらディズニー映画史上初のレズビアン・プリンセスカップルが登場する日が来るのかもしれない。

ということで、前年度アカデミー賞長編アニメ部門つながりの二作品から同性愛を勝手に感じとったという話でした。