ノベツマクナシ

低所得者層にいます

日記52 腹の痛みなしに下痢から開放されることはない

人は何か自分では動かし様もないことにぶつかった時、だいたい3つの感情の流れを辿ることになる。悲しみ・怒り・哀れみ。これはそれぞれ自分とその相手や物事本体に対してにも向けるのだ。

例によって友人Aの話になる。かれこれ一ヶ月ちかくにもなるが、彼は彼なりの人生の立て直しに入っている。新しいことを始め、染み付いたものを消す。彼に限って言えば、Ustのアカウントを消し、新たなる目標に向けての勉強を始めることにあたる。私も同じように色んなモノを取捨選択してきた。その中にはかつて好きだったミュージシャンも頻繁にメールを交換した仲であった友達もある。良いか悪いかは別として、次のステージに移るには身を軽くするのが一番なのだ。

私が我慢ならないのは未だ一定のラインで繋がっているのに無視され続けている所だ。この一点が私を不安にさせ、怒りに震えさせ、どうしようもなく悲しませている。かつて私が全てが嫌になってほとんどの友人と疎遠になった時、全員がそれを、私がいなくなることを受け入れた。およそ恋人かその人を相当意識している人でない限り、なんとか面倒を払ってまで連絡を取りたいと思わせる人間はなかなか居ないのだ。

書きたくはないが、私自身彼にとって気にかけてくれる友達である以上に、自分を堕落させる存在でもあったのだろう。

はたして彼が私の友人止まりの範囲にいたら、彼をそのまま見守っていただろうか。大人になってから友達を無くすのは実に堪える。

それでも私たちはお互いに自分が取り戻すべき時間の使い方を身につけようとしている。ここ数日のことではあるが決まった時間に起き、勉強し知識を得て、目標に向かって生きることを意識し始めている。いまここで私だけが駄々をこねていてはしかたないのに、どうしても苦しい。

 

かつてこのブログに書いたビショップの詩がやたらと教訓を帯び始めている。

 

何かを失くす術を得るのが難しくないのは確かだ
それでもやはり(書いてしまえ!)大惨事に見えるけれど